「世話をすればいいわけではない〜モンテッソーリの言葉より」
秋も深まり、朝晩はちょっと寒いような日もありますね。ちょっと油断すると風邪をひきそうなこんな時期、園でも段階的に防寒対策に配慮していきたいと思います。
さて先日、久しぶりに紐解いたマリア・モンテッソーリの1949年にイタリアで行った講義録に次のような話がありました。
あるインドの本に書かれていた物語で、深い印象を与えてくれた話があります。小さな羊飼いの話です。
羊飼いの彼女は、自分の周りをもっと美しくしようと、二本の木を植えました。一本は自分自身の楽しみのため、もう一本は神様に捧げるためでした。 神様に捧げる宝の木には惜しみなく手を入れ、忍耐強く水をやり、日照から守り、虫がつかないように気をつけました。もう一本の木は顧みず、他の人に世話を任せていました。
すると予想外のことが起こりました。神様に捧げた木は枯れ、もう一方はよく育ったのです。悲しみの中、小さな羊飼いは献身的な世話がなぜこのような悲惨な結果になったのか、思いを巡らせました。
答えは、「あなたはこの小さな植物に水を与えすぎ、太陽や昆虫から守りすぎた。植物は太陽を浴びて光合成をするために葉緑素が必要で、成長と繁殖のために昆虫が必要です。あなたは自分自身でそれを世話することにより殺してしまった」ということだったのです。
そして、モンテッソーリは続けてこう言います。
同じ現象が教育の現場でも起こっています。多くの場合、家族からの、また教育者からの邪魔によって、たとえその行為に良い意図があったとしても、子どもの内なる創造的な力が自由に育つ障害になってしまうことがあります。子どもの内的衝動を抑圧し、息苦しくし、生命にとって必要な自然な力を邪魔してしまうことになります。言うまでもありませんが、このような保護者や教育者は、自分の行動が自然の働きに反しているとは思いもしません。
とても耳が痛い話です。私たちが良かれと思ってやっている様々な世話や援助が、時にその自然な発達を大きく邪魔してしまっており、最悪の場合には根こそぎ奪い取ってしまうことになりかねない、ということが示唆されています。
さてこの話から、私たち大人はもう一度原点に戻り、人間は、甲斐甲斐しく世話をしていれば育つというわけではないこと。その可能性を十分に開花させたいのならば、子ども達の「自然な発達の法則 (原文:Natural Laws)」を十分に理解し、子ども自らが環境へと関わっていく部分を尊重し、邪魔をしないように心がけていかなければならないこと。これらのことを、再度肝に銘じて、日々の保育をどう変化させることができるのか、引き続き考えていきたいと思います。
園長 大原 青子より