「立派な人格のなかみとは」
まだまだプールや蝉取りで子どもたちの夏は続いていますが、秋も静かに近づいてきているのでしょう。虫の音が響くのももうすぐですね。
私服で過ごした夏のあいだは、個性的なカラーがいっぱいで、子どもらしさでいっぱいでした。それでも目つきが鋭く感じられたのは、成長と自信のあらわれでしょうか。
充実の秋に向けて、これからも、ひとりひとりの表情をしっかりと見つめ続けていきたいと思います。
ところで私たちは、毎日目の前にいる子どもたちが、「良い人間」に育ってくれることを願って接しています。「良い人間」とは、立派な質の良い人格の持ち主ですが、ある学者はそのことを、「知性・情操・意思のバランスがとれていること」と言っています。私も全く同感です。だから私たちはこの三つのことが、子どものなかに根づくことができるような環境を準備していかねばなりません。
・「知性」…これは、ものごとをきちんと筋道を立てながら(論理的に)考えていき、自分にとって最善と思われる結論を出す能力です。そのためには、子どもの時から多くの豊かな実体験をさせ、受け入れた印象を整理・整頓させていきます。モンテッソーリ教具では感覚教具・言語教具・算数教具などを活用して、秩序性・順序性・段階性・因果関係などを身につけていけるようにします。
・「情操」…これは、「善いこと」や「美しいもの」に心を寄せ感動する気持で、人間の心のあらわれです。そのためには、やはり小さい時から多くの自分とちがった人たちに触れ、その心の動きや行動を知ること、また質の高い芸術・美術の世界を見聞きすることが、大きく役立ってきます。
・「意思」…やるべきことをやろうとする時、またはやってはいけないことを止めようとする時、他人の命令や指示に頼らず自分で決めることです。これは、自分の判断に
対する信頼感が充分にあってこそできることですが、子どもたちは毎日そのためのトレーニングを続けています。というのもモンテッソーリクラスとは、「自己選択」「自己決定」を、子どもたちが自分でできるようになるための環境だからです。
「知性」「情操」「意思」がバランスよく身につきはじめている子どもは、おだやかななかにも活き活きとした表情をしています。良い人間となり、良く生きていくために大切なものは何かを感じ取っているからです。このエネルギーは、いずれ私たちの社会を良い方向へ導いてくれる力になることでしょう。何とも大きな楽しみですね。
理事長 江口 浩三郎より
「自立してこそ自由になれる」
楽しみにしていた花火大会までも、中止せざるを得なかった梅雨もようやく明けて、セミの声が元気よくなりました。これから猛暑が続くと思えばいささかうんざりですが、農作物の順調な成長のためにも、我慢していきましょう。
子どもたちにとっては、何といっても毎日のプール遊びです。みんなで大きな声をあげながら水とたわむれていますが、いつの間にか泳げるようになるから大したものです。どんなことでも乗り越えていく子どもの姿にこそ、学ぶところがいっぱいありますね。
ところでモンテッソーリ教育は、子どもたちがこの永い人生の道のりを、自分の意思を大切にして、自由な気持ちで歩いていくことを目的としています。「自己創造」「自己実現」「自己主張」を貫けることが、幸福な人生と考えるからです。しかしながらそのための前提として、まず自分自身が「自立」していなければいけません。そのために、子どもが毎日どんなトレーニングを積んでいるかを紹介しましょう。
①まず、モンテッソーリ教育における「日常生活の練習」です。毎日の生活の中で、少なくとも自分の身の回りのこと、他人との生活でうまくやっていけるためのことに必要なテクニックを、1才ぐらいの頃から練習していきます。自由に生きるための生活秩序を、この練習によっていつの間にか身につけていくのです。
② 次は「自己選択活動」の繰り返しです。子どもが何か自分のやりたいことを決め活動していく時、それは全て子ども自身の気持ちのあらわれです。先生は必要な助言や手助けはしますが、余計な口出しはしません。ですから、子どもは毎日の活動について、いつも自分で考えをめぐらせておく必要があります。その結果が、積極的な活動力や素晴らしいアイデアに結びついていくのです。
③ 多種多様な人間関係のなかで、自分がどんな人間であるかを理解しはじめ、「群衆のなかの個人」という意識が芽生えてきます。自分の気持ちに正直になるということは、裏を返せば孤独になれる勇気を持つことです。子どもは毎日、年令も性別も異なる多くの仲間のなかで、自分と他人との距離感のつかみ方を学んでいます。
「人はパンのみにて生きるものにあらず」と、古代から自由を求めてきましたが、個人的にも実現するのは簡単なことではありません。やはり子どもの時から、自分の意思と体で実際の活動をしながら、「自立」と「自由」の感覚を身につけておくことが必要です。そのことを毎日実感しながら過ごしているからこそ、子どもたちはあんなに生き生きとした表情を見せるのでしょうね。
理事長 江口 浩三郎より
「どんな気持で子どもを大切にするのか」
いつものとおり、あじさいの大輪は咲き乱れていますが、今だに梅雨らしい雨が降らないのはどうしたことでしょう。ダムの底も見えてますので、水不足が心配ですね。
園庭では「体育サーキット」の練習も始まり、みどり組の目がさらに活き活きとしはじめました。チャレンジすることの楽しさと成功の喜びが、気持ちよく伝わってきます。たくさんの友だちといっぱい汗をかいたこの毎日は、心の中にいつまでも残り続けていくことでしょう。
ところでモンテッソーリ教育は、今の日本の教育スタイルからすれば、いささか風がわりだと見られています。しかしスタイルを語るより、先生と子どもの関係を論じれば、全くオーソドックスであると言えます。要するに、「子どもが幸せになれるのか」、また「正しい成長ができるのか」が大切だからです。そのためにモンテッソーリは、毎日子どもと接する先生の心がまえとして、次に述べるポイントを厳しく求めています。
- 「愛情」を持って接する
幼いもの、小さいものに愛の目を注ぐことはもちろんですが、ここではさらに、人間というものに強い興味を持つことが求められています。べったりとくっつくのではなく、一歩離れて冷静な目で、子どもというひとりの人間を客観視しなければ、本当の観察ができないからです。
- 「信頼」の気持を強く持つ
- 子どもの何をどう信頼するのでしょうか。それは、子どもは必ず、本来生まれつき自分の持っているものを見せてくれること。さらに、自分の成長に必要なことを選ぶ力があることを信じることです。子どもはまだ未熟でそんな能力がないと考える人には、モンテッソーリ教育を実践する資格はありません。
- 「忍耐心」を持つこと
- 今どんな活動に取り組むかは子ども自身が決めることであり、活動のスピードもそれぞれちがいます。ここではまさに、「忍耐づよく待つ」という姿勢が問われてくるのです。
- 「謙虚な姿勢」を持つ
- 確かにそのとおりではありますが、子どもの未熟さを前にして、おとなはゴーマンで尊大に振る舞いがちです。しかし、それでは子どもからの信頼は得られません。おとなも自分の未熟さを認め、子どもの姿から何かを学ばせてもらうという姿勢が大事なのです。
ここに挙げたポイントを身につけることは仲々難しいことですが、そのために努力し実行するからこそ、子どもたちから大きな信頼を受けることになるのです。また、こんな気持で子どもたちを見ていると、ひとりひとりが素晴らしい存在であることに気付かされます。幼児教育の醍醐味(だいごみ)はまさにここにありというわけです。
理事長 江口 浩三郎より