「なぜ、モンテッソーリ教育に魅力を感じるのか」
梅雨時とはいっても、なかなか雨が降りませんが、また集中豪雨がこないか心配ですね。
それに、毎日報道が続くウクライナでの戦争にも心が痛みます。
そんな心配ごとを忘れさせてくれるのが、子どもたちの元気な姿です。「子どもは遊ぶために生まれてきた」と昔の歌人が詠んでいますが、全くそのとおりで遊びの天才です。
この子たちの心が乱されることがないよう、毎日気配りを続けていくのが私たちのつとめであることを、忘れないようにしていきます。
ところで、数日前の新聞で、「元NHKの人気アナウンサー久保純子さんが、ニューヨークで保育士に」という見出しに目が留まり、「ひょっとして、モンテッソーリ教師ではないか」と思いました。そして読み続けていたら、やはりその通りでした。自分の子育ての時に出会い体験させ、その後教師資格を取ったそうです。永年実践している私にとって、当たり前と思っているモンテッソーリ教育の、何が久保さんに強くアピールしたのか、その魅力をもう一度おさらいしてみました。
① やはり最初は、クラスにずらりと並ぶバラエティに富んだ教具の魅力でしょう。鮮やかな色と形、さまざまな文字と数字、多種類の模型や絵カード、どれでも思わず手に取ってみたくなるものばかりです。
② そのうえ、これらの教具は全て、子どもの成長を促す系統性に沿っており、また成長期の宿題ともいうべき「敏感期」を、充分に満足させる各分野の内容となっています。
③ さらに驚かされるのは、私たちが見慣れた全員一斉的な形ではなく、全ての子どもが自分で遊び、自分のペースで取り組んでいることです。自分の人格と意思が尊重され、自分の存在が誰にとっても有益であることを感じ取らせるという、モンテッソーリ教育のメインテーマがまさにこの場面にあるのです。
④ 時間や場所を制限されず、思いどおりに活動を続ける子どもには、深い集中現象がもたらされます。このことのよって、より良い活動の結果を得られるとともに、これを繰り返すことにより、その子の人格がより善い方向へ導かれていくことは、多くの実践結果より証明されています。
⑤ 幼い時から自分の意思で選ぶことが保障され、その生活を続けてきた子どもには、物ごとを考え解決する時に、あくまで自分の力で進めていこうとします。いわゆる「自主性・自立性」「独立性」「計画性」の発揮です。同時に「自分の自由」と共に「他人の自由」も尊重していきます。モンテッソーリが、「平和は子どもたちの中から生まれる」と言ったのは、まさにこのことなのです。
久保さんがピンときたのと同じように、私も50年前、一発で「これはいただき」と感じました。未だにその選択は正しかったと胸を張って言えます。というのも、毎日顔を合わせる多くの子どもたちの表情の中に、私の理想の全てを読み取ることができるからです。だから私の今の心境は、「人生バンザイ」といったところです。
理事長 江口 浩三郎より
「知性を伸ばして、判断力を支えていこう」
時折、暑い日射しが照りつけてきて、夏がそこまでやって来ているのを知らせてくれます。やがてプールの方から、子どもたちの歓声が聞こえてくることでしょう。
この世の中、コロナにウクライナ、諸物価の値上げと、気分が下向きになることばかりですが、それでも、子どもたちの元気な声と姿に、どれだけ救われているか知りません。
おとなが子どもを守り、子どもがおとなを救うというのは、社会でのうまくとれたバランスなのでしょうね。
ところで、「情操」や「意思」とならんで、「知性」は人格の内容として重要な部分ですが、特に自由な人間性を目指すモンテッソーリ教育では、その発達の成否が大きな影響を及ぼしてきます。
「知性」ということばの内容には、モンテッソーリによれば、「現に目の前にないものを考える能力」と言っています。また、元西南学院短大学長の市丸先生によれば、「自分の置かれている状況を知り、それに対して適切な行動を取らせる働き」と説明されています。どちらをとっても、人が生きていくうえで決して欠かせない能力であり、その育成は幼少期から始める必要があります。具体的には次のとおりです。
① 多種多様の豊かな体験を通じ、そこから得られた多くの印象を受け入れておく……クラスでのお仕事や園庭活動、園や家庭での人間関係、日常生活の体験、散歩や買い物や旅行等で、雑多な体験をさせておきます。
② 常に子どもの身体を動かせておく…特に脳への影響が多い手や指を活発に動かしたり、どんな時でも自分で考えながら体を動かし、活動の正確化・精密化を目指すようにします。
③ 多くの体験にもとづく雑多な感覚的印象を、整理・整とんさせる……子どもが毎日行っている感覚教具を使った活動は、まさにそのためにあるのです。
④ 知性の発達にうまく対応できるような系統性のある環境を準備しておく……環境に導かれて知性は発展していきますが、それが途切れると大きく後退してしまい、取り戻すのが大変です。クラスに、多種多様なモンテッソーリ教具を準備しているのはこのためです。
「自由な生活」というのは、他人に頼らずあくまでも自分の意思で選択しながら行動することです。その時に大切なことは、選ぶ対象がどんなものかを、良く知っていなければなりません。そのためには、複雑なことがらでも、知性の働きできちんと区別・分類して、選ぶ対象の意味するところをはっきりとさせておくことです。
人生は、選ぶことの連続だといっても過言ではありません。選び方次第で、結果が大きく変わってくるかもしれません。だからこそ、幼い時から知性を身に付け、良質の選択が出来るような環境で過ごさせることです。そして、幸福な人生を保障するような、自由な人間が育つことを目指していきましょう。
理事長 江口 浩三郎より
「子どもが幸せを感じるとき」
園庭のけやきが若葉をいっぱい茂らせ、今年も暑い日ざしから子どもを守ってくれそうです。
また、満開のつつじの上ではこいのぼりがはためき、さわやかでにぎやかな風景が、目を楽しませてくれています。
新しい制服が目立つ子どもたちの動きも、負けじと活発です。チャレンジ精神まる出しの毎日ですから、たくましく成長してくれることでしょう。
ところで私たちは今、一度きりの人生を生きています。子どもたちも同じことですが、これから続く長い人生を、「自分は幸せだ」と感じ続けてもらいたいものです。そのために大事なことは、スタート時点である今現在であり、そのための雰囲気や環境づくりは、私たちの手の中にあります。そこで、どんな手を打っていったほうがいいのか、いくつかのことを考えてみましょう。
① 自分は愛されていると感じさせること…周りの人から誕生を祝われ、成長を喜ばれ、ひとりの人間として認められることは、子どもの深い満足感を与えます。自分の存在を肯定し、価値観を高め、この世界の中での楽しみを味わってくのです。どうぞ、たっぷりと愛を注いでやってください。
② 安定した気持ちで過ごさせること…毎日の生活が安定しバランスがとれていると、子どもも安定しバランスのとれた人格を作っていきます。子どもは、まだ全てにおいて未熟で自信不足ですから、周囲の環境に過敏に反応しがちです。ですからまだ幼い時は、できるだけ波風を立てない、おだやかな雰囲気の中で過ごさせるようにしましょう。
③ 多くの仲間と過ごしていく…人には「群生本能」があり、ひとりで生きていくことはできません。ただそうは言っても、みんなが自分とちがう人間なので、その中でうまくやっていくのは大変なことです。だから多くの仲間と交じり合いながら、トレーニングをやっていきましょう。そして少しずつ他の人間とのつき合い方を覚え、さらにはその中で、自分の心地よい居場所を見つけるようになります。まさに幸せを感じる時です。
④ 自分の敏感期に応じた環境が用意してある…誕生後6才位までに、子どもには様々な敏感期がやってきます。モンテッソーリはこのことを、「神が与えた宿題」と呼んでいますが、この宿題は必ず確実にこなしていかなければなりません。さもないと正常な発達が阻害され、さらには自分自身を見失うことにもなりかねません。敏感期を満足させる環境にいる子どもは、毎日生き生きと活動し、当然幸せな気分にひたるのは当然なことでしょう。
以上、子どもが幸せな気分になれることをいくつか挙げましたが、幼い頃のこの体験は、その後の人生においても必ず再現しようとするはずです。また自分だけでなく、周りの人たちへも伝染させていくはずです。人生のスタート時というのは、本当に大切な場所なのですね。
理事長 江口 浩三郎より