「なぜ自分で考え、判断できるようになるのか」
明けまして おめでとうございます。
ご家族おそろいで、新しい年を祝われたことでしょう。
新年をあらわすことばとして、「希望」「未来」「明かるさ」などを想いますが、私は毎日、ひとりひとりの子どもの表情のなかに、全て読みとっています。いつ見ても、何度見ても、未来への希望が明かるさのなかに宿されているからです。今年もこの明かるさのなかで進んでいきます。少しでも失われないよう努力します。これが私の希望です。
ところで、モンテッソーリ教育を受けた子どもには、自主的で独立独歩の精神が身につくと言われています。すなわち、人生のさまざまな場面での必要な考え方や判断を、他人の意思や周囲の空気にまどわされずに、自分の意思のもとに進めていこうとします。
なぜそうなるかといえば、子どもの育っていく環境が、自由な精神のもとでの自由な活動が認められているからです。しかしながらこの環境は、子どもの人格を認め人間性を尊重するものですが、かんたんに身につくものではなく、毎日の生活の中で継続的にトレーニングをする必要があります。
具体的には、まず日常生活の練習があります。「生活行動」と言う以上、必ず結果を出さなければなりません。どんな原材料を選ぶか、どんな手順で行うのか、作業するうえで気をつけなければならないのはどんなことか、「正確さ」「精密さ」がどの程度まで求められるか等々、考えることが山ほどあります。また、全て手作業であるため頭脳の発達への影響は大きく、やればやるほど脳の思考回路を活発に働かせることにもなります。次に感覚教育ですが、「感覚体験は知性の始まり」と言われているとおり、考えるというのはどんなことか、またそれを発展していくためにはどうしたらよいのかを、子どもにわかりやすく理解させてくれます。教具を使って、「分ける」「集める」「比べる」「合わせる」「連続させる」「包む」「抽象化する」「因果関係を知る」ことを体験します。それが全て「ものごとを考えるとはどんなことなのか」、また「さらに良い判断をするにはどうしたらいいのか」を学ぶことになるのです。
モンテッソーリクラスでは、自分で考え判断していかないと、一日たりとも過ごすことができません。しかしこの経験や学びが、将来「自分の人生をうまくコントロールできる」ことにつながっています。子どもたちの表情が、なぜか自信に満ち誇らしげに見えるのもきっとそのせいでしょうね。
理事長 江口 浩三郎より