「自分の意見が言えることの意義」
先月末より朝晩の冷えが本格化し、比較的暖かな福岡でも冬の始まりを感じられる今日この頃ですね。
さて今月は、6歳までの子ども達とともに暮らす私たちの教育の場において基本となる指針の一つである「自立」について考えてみたいと思います。ひとえに「自立」とはいっても、自立にはいくつか種類がありますよね。例えば「経済的自立」などは生活していくためには欠かせない自立の一つとなりますが、数ある自立の中でも、私たちが教育の場で特に大切にしている「自立」には、以下の3つが挙げられます。
1)身辺の自立: 特に6歳ぐらいまでの子ども達が獲得していくもので、例えば自分で食べること、また着脱や手を洗う、顔を洗う、またトイレに行ける、などなど、まずは自分の身の回りのことが自分でできるようになるという自立です。
2)精神的(感情的)自立:赤ちゃん達なら、少しハイハイしながら親から少し離れた場所に行ってみること、またその後は、親と離れて園に通うことができるなど、しっかりとした愛着関係を築いていたならば自然と出てくる「色んなことを誰にも依存せずにやってみたい気持ち」、「一人でもできるし大丈夫」というような、気持ちの上での(感情面での)自立です。
3)知的自立:さまざまな体験をし、色々な知識を得ることによって芽生えてくる自分自身の意見をしっかりと発言できるという、多くの人の意見に流されないというような自立。
その人生で、大きな二つの世界大戦を体験したマリア・モンテッソーリは、この3つの自立の中でも特に最後の「知的自立」が、つまり自分の意見をしっかりと言える個人が育つことこそが、独裁主義などが横行しない「世界の平和には欠かせないもの」であるとの主旨を何度も唱えていました。
ちょうど先月、高校生になった卒園児の保護者と道でばったり出会い、少し雑談をかわしていた中で、スポーツの部活に所属している卒園児さんが、数々の暴言を吐く顧問の先生の態度についてハッキリと意見をし、話し合いに持ち込んで、最終的にはその先生から謝罪してもらえたという話を聞きました。その先生の言葉によって精神的にダメージを受け退部してしまった友達もいたようで、そのような事態の原因はあなただ、ということも伝えたということで、私の中ではすぐに、この卒園児さんと「知的自立」ということが結びつきました。
この自立の最終段階である「自分のしっかりとした意見を持つ」という知的な自立をしてもらうためにも、私たち大人は、まずは乳幼児期からの「身辺の自立」が身につくよう適切な援助をし、また誰にも感情的に依存しなくても大丈夫なようにしっかりとした自尊心を育て、そして何よりも、私たち自身が知的に自立した姿勢を身につけ、子ども達の模範となれるように更なる努力を続けていきたいものです。
園長 大原青子より