「毎日、子どものどこを観るか」
山あいの斜面に、ピンク色の梅の花が咲いているのを見かけましたが、これから春のきざしも増えていくことでしょう。
先日の保育参観はいかがでしたか。この時期になると、いつ・どこで・何をするかという生活リズムの進め方が、全く順調です。自分が「行動の主人公」であるという意識が身についているのを感じられます。成長過程の一場面でしょうが、それをさりげなく見せてくれるところに、子どもたちの迫力を知らされます。
ところで、お医者さんはまず「診察」して しますが、子育ての場合は「観察」して対応します。適確な対応をするためには、まず相手(子ども)のことを良く知る必要があるからです。そのためのポイントをいくつか挙げてみます。
①子どもの精神(気持)が安定しているかを観る。
大人もそうですが、自分の気持が不安定で乱れていては、全くやる気が起こりません。だから「精神の安定」は全ての出発点となります。ところが困ったことに、大人だったら「何を馬鹿な」とか「アハハ」で済ませることを、子どもはまだ未熟ですから 受けとめます。だから毎日、子どもの表情をしっかりと観つづけて下さい。
②ものごとに、自分から進んで熟中(集中)して取り組んでいるか。
集中は進歩の始まりです。学校の成績もあがります。どんなことでもいいので、熟中できる場所と材料を用意しておきましょう。ただしテレビやスマホは、受動的であるし脳の発達に良くないので、充分に気をつけて下さい。
③自分の思いどおりに、身体を動かせるようになっているか。
心と体のバランスの良い成長が、子どもの人格にあらわれてきます。幸いにも子どもには「運動の敏感期」があり、疲れも見せずにひたすらに体を動かそうとするので、その時機を見逃さず、自分の頭でよく考えながら運動するように手助けしましょう。
④幅広い社会性が育っているか。
ひとはひとりでは生きられない以上、幼児期にしっかりと、他人とのつき合い方を学ばせておくことです。「どんな友だちと何をして遊んだか」をいつもさりげなく聞いて、確かめて下さい。
いろいろ挙げましたが、これは園でも全く同じことです。ひとりひとりの子どもの表情をのぞき込むこと、これが私たちの役割でありまた大きな楽しみでもあります。
理事長 江口 浩三郎より
「なぜ自分で考え、判断できるようになるのか」
明けまして おめでとうございます。
ご家族おそろいで、新しい年を祝われたことでしょう。
新年をあらわすことばとして、「希望」「未来」「明かるさ」などを想いますが、私は毎日、ひとりひとりの子どもの表情のなかに、全て読みとっています。いつ見ても、何度見ても、未来への希望が明かるさのなかに宿されているからです。今年もこの明かるさのなかで進んでいきます。少しでも失われないよう努力します。これが私の希望です。
ところで、モンテッソーリ教育を受けた子どもには、自主的で独立独歩の精神が身につくと言われています。すなわち、人生のさまざまな場面での必要な考え方や判断を、他人の意思や周囲の空気にまどわされずに、自分の意思のもとに進めていこうとします。
なぜそうなるかといえば、子どもの育っていく環境が、自由な精神のもとでの自由な活動が認められているからです。しかしながらこの環境は、子どもの人格を認め人間性を尊重するものですが、かんたんに身につくものではなく、毎日の生活の中で継続的にトレーニングをする必要があります。
具体的には、まず日常生活の練習があります。「生活行動」と言う以上、必ず結果を出さなければなりません。どんな原材料を選ぶか、どんな手順で行うのか、作業するうえで気をつけなければならないのはどんなことか、「正確さ」「精密さ」がどの程度まで求められるか等々、考えることが山ほどあります。また、全て手作業であるため頭脳の発達への影響は大きく、やればやるほど脳の思考回路を活発に働かせることにもなります。次に感覚教育ですが、「感覚体験は知性の始まり」と言われているとおり、考えるというのはどんなことか、またそれを発展していくためにはどうしたらよいのかを、子どもにわかりやすく理解させてくれます。教具を使って、「分ける」「集める」「比べる」「合わせる」「連続させる」「包む」「抽象化する」「因果関係を知る」ことを体験します。それが全て「ものごとを考えるとはどんなことなのか」、また「さらに良い判断をするにはどうしたらいいのか」を学ぶことになるのです。
モンテッソーリクラスでは、自分で考え判断していかないと、一日たりとも過ごすことができません。しかしこの経験や学びが、将来「自分の人生をうまくコントロールできる」ことにつながっています。子どもたちの表情が、なぜか自信に満ち誇らしげに見えるのもきっとそのせいでしょうね。
理事長 江口 浩三郎より
「愛された子どもは、他人を愛するようになる」
日曜の朝園庭に行きふと目をあげると、赤く染まったもみじの葉が私を見おろしていました。いつもは、けやきや楠や藤の葉の茂りのかげで忘れられているのに、今こそとばかりに自己主張をしています。やはりいのちのあるものは、いつか輝くときがくるものですね。そのためには、光をあたえ土を耕し水をさしてあげましょう。青い葉っぱの時も目を向けていきましょう。もみじは、必ずそのことを覚えていてくれるはずです。
ところで、人間の持つ数少ない本能のひとつに「群生本能」があります。文字どおり群れて生きることですから、他の人と交じり接しながら生活することを望む本能です。そして他人との接し方が楽しく・明るく・希望の持てるものだったら、それがそのままその人の人生に反映され、大きな喜びと豊かさをもたらしてくれます。
ここで言う愛された子どもとは、どんな子どもなんでしょう。
もちろん子どもは小さくて可愛い存在ですから、慈愛の心で愛されます。しかしそれだけではまだ充分ではなく、その子どもをひとり前の人間としての人格を認め、自由意思を尊重してやらねばなりません。自分の存在が誰からも認められ、自分の思いどおりの活動が許されると感じる時、子どもの喜びは大きく、この世に生まれてきたことに感謝したい気持ちになることでしょう。
この気持ちは、当然周りの人たちへ反映されます。自分のことだけではなく、他人の存在を大切に思うようになります。心が広くなり他人を許す寛容な気持ち。自己主張を控え、他人のことばに従順に耳を傾ける姿勢。自分も自由だが他人の自由も尊重する態度。それが全てうまくかみ合った時、自分と他人との間に、良好な人間関係の秩序が生じてくるのです。
他人を愛することによって良い人間関係が生れることを知った子どもには、素晴らしい結果が待っています。人は他人から学んで成長すると言いますが、多くの友人・仲間の人間性から学び吸収できることは貴重なものです。新しい情報も沢山入ります。楽しいつき合いもいっぱいあります。また困った時は本気で助けてくれます。
幼い頃に充分な愛を受けた子どもの未来は、こんなに素晴らしいものです。私たちも今、このイメージづくりに励みましょう。そして思いつく限りの愛を注ぐことに力をつくしましょう。
理事長 江口 浩三郎より